寒食節と杏仁豆腐

No.55寒食節と杏仁豆腐

冬至から105日、あるいは106日目、旧暦の3月5日を「寒食節」といい、3日間火を使って煮炊きすることを禁じる風習がありました。「寒食節」は春秋時代の晋国の忠臣、介子推が焼け死んだ日と言われ、彼の死を悼む行事として火を禁ずるのだと語り継がれています。しかし史書に介子推が焚死した紀録がないことから、民俗学者は禁火という風習を火星や火に対する信仰と関連付け、火星が夜空に出現する3月に新しい火を灯して生命の蘇りを祝い、それに先立つ2月に火を断って火星の出現を待つ宗教的な行事が基となっているのだろうと考えています。ただ、介子推の物語があまりにも悲劇的で人々の心を打ったため、「寒食節」は介子推の死を悼む日とされてきました。介子推の物語は次のようなものです。

春秋時代、晋国に重耳という名の王子がおりましたが、国王の死後、兄弟が王位に就いて重耳を殺そうとしたため、彼は国外に逃れて流浪の身となりました。そんな流浪時代に献身的に重耳を支えたのが介子推です。彼のおかげで重耳は命を長らえて秦国に身を寄せたのでしたが、やがて秦王の協力を得て故国に戻り、重耳は晋の国王、文公として即位します。文公は重臣たちに爵位を与えてその恩に報いますが介子推には何の恩賞もなく、悲観した介子推は世を捨てて山にこもってしまいました。それからしばらくしてこの事を伝え聞いた文公は爵位を与えて山を下りるように説得しますが彼は聞き入れません。そんな中である臣下が「山に火を放てばきっと下りて来るでしょう」と進言したため、それに従って山に火を放ちましたが介子推はとうとう下りて来ることはありませんでした。3日後に山を探すと、黒焦げになった柳の大木の傍らで介子推とその母が抱き合って焼け死んでいるのを発見し、文公は自らの愚かさを嘆き彼を悼んで二度と彼の恩を忘れまいと誓ったそうです。それ以後、介子推の命日には国中で禁火を行い、彼を追悼したのが「寒食節」の始まりだということです。

さて、「寒食節」の禁火の風習もいつしか途絶えてしまい、今では「寒食節」という名称すら忘れ去られていますが、『荊楚歳時記』を丹念に読むと古い風習の中に意外な発見をすることがあります。同書の「寒食」の条には「今人、大麦粥をつくり、杏仁をくだきて酪をつくり、飴を引きて之にそそぐ」とあって「寒食節」に「杏仁酪」を食べていた事を伝えています。「杏仁酪」の「酪」はヨーグルトの事で、「杏仁酪」とは杏仁で作ったヨーグルト状の食品、つまり今日の「杏仁豆腐」の原型と思われます。実際の作り方は『斉民要術』に載っており、アンズの種を臼で挽いて絹で漉した後、麦を加えて弱火で煮たものを器に流して冷やし固めるという方法で作っています。今では寒天やゼラチンを加えて作るのですが、昔は麦の澱粉で固めていた訳です。一年中食べられていて季節感の無い「杏仁豆腐」も、実は春の歳時食であったいう発見は私にとってこの春一番のうれしい収穫でした。

No.56清明節と画蛋

「清明節」は春分から数えて15日目を言い、二十四節気の1つとして知られています。中国ではこの日に墓参りをし、春の野山を散策する「踏青」を行い、ヨモギを摘んで日本の草団子と同じ「青団」を食べて春を満喫するのが古くからの風習です。キリスト教を信仰する国々では、春分後の満月に最も近い日曜日にキリストの復活を祝うイースターの行事を行いますが、「清明節」とイースターはほぼ同じ日と言ってよいでしょう。私の小学校はミッションスクールだったので、イースターになると赤い色粉で染めたイースターエッグが必ず給食に出されて、皆でワイワイ騒ぎながらその赤い殻を剥くのが楽しかった記憶があります。今にして思うとなぜ色の付いた卵がそんなに楽しかったのか不思議ですが、箱根大湧谷みやげの温泉卵も黒く色付いた卵で、これを食べると何年寿命が伸びるなどと言われますから、色の付いた特別な卵に私たちは生命の誕生という寓意を知らず知らずの内に感じ取っているのかも知れません。イースターエッグにしても元来は春分から日が伸びて太陽の力が復活するという太古の太陽信仰から来ていると聞いた事があります。実は中国でも「清明節」に卵を食べるという風習がかつてあったそうです。絵が描かれた卵を「画蛋」、絵を彫刻刀で透かし彫りにしたものを「彫蛋」と称して盛んに作られていたと言いますから、洋の東西を問わず卵は生命誕生の春を象徴する食べ物と言ってよいのでしょう。

料理屋ではゆで卵をそのまま出すということはしませんが、「滷水」という煮汁で卵を煮た「滷蛋」はソバの具材としても使用されます。「滷水」はスープにカラメルを加えて醤油色に着色し、ここにさまざまな香辛料や調味料を加えて味付けした香り高い煮汁です。この「滷水」で丸のままの鶏やアヒルなどを煮て味を含ませたものは前菜の1品となり、継ぎ足しては何度も使ってゆく内に旨味が濃縮するので、これを「老滷」と呼んで料理屋では店の宝として代々伝えてゆくものです。家庭では作るのも管理するのも大変ですので、「茶葉蛋」という簡単なゆで卵の作り方をご紹介しておきましょう。

「茶葉蛋」の作り方
1)卵はボイルして固まれば、殻を叩いて割れ目を入れておく。
2)鍋に卵がヒタヒタにかぶる程度の水を加え、紅茶の葉、塩、醤油で濃い目の味を付け、少量のシナモン、スターアニス(八角)を入れておく。
3)2)の中に1)を入れて沸騰すれば弱火にし、10分ほど煮て火を止め、煮冷して味を含ませる。

No.57 卵の加工品「皮蛋」

私が始めて「皮蛋」を食べたのは確か小学校低学年の頃で、父が「これが食べられたらかなりの食通だ」という一言に触発されて食べたように記憶しています。私が平気な素振りで「皮蛋」を食べるのを大人が驚いたり感心したりするのが子供心に誇らしく、始めは無理やり食べていたのですが、それでもあの味が根っから嫌いではなかったようにも思えます。そもそも我が家にはごくまれに(上野動物園が近いのが幸いして)近所の剥製屋の職人さんから得体の知れない肉の差し入れがあり、やれ、ワニだとかキリンの肉だとかが新聞紙に包まれて持ち込まれて来るのを母がトンカツにしたり味噌煮にしたりして、キャーキャー言いながら人にも食べさせて喜ぶと言う、まるで落語に出てきそうな家庭でしたから、「皮蛋」もさほどの抵抗もなく食べられたのだと思います。しかし籾殻が混じった泥に包まれて、殻を割ると真っ黒で半透明な卵が現れるというショッキングな外観は、やはり尋常ではない食べ物の典型と言ってよいでしょう。

「皮蛋」が考案されたのは明代らしく、清の康煕年間に著された『食憲鴻秘』には次のようにその制法が記されています。
「鶏の卵100個に塩10両を用いる。まず濃いお茶に塩を溶かし、ここに木炭、ソバ、柏の灰を加えて泥状にする。これを卵に塗って一ヶ月貯蔵すればできる。清明節に作ったものが良品である」
『中国食物事典』によると現在の作り方は、水に紅茶、塩、木灰を入れて煮立てた中に、石灰や天然ソーダなどを加え、ここにアヒルの卵を入れて20℃~24℃を維持して40日ぐらい熟成させ、その後、卵を粘土で包み、籾殻をまぶして保存するのだそうです。

殻を剥くと「皮蛋」の表面に雪の結晶のような模様が現れることから、この模様を松の花に喩えて別名を「松花蛋」と言ったり、黄身の断面が草緑色、青黄色、緑褐色の3層になっていることから「彩蛋」、泥で覆うことから「泥蛋」などとも呼ばれ、黄身がしっかりと固まっている「硬心皮蛋」と黄身が固まりきっていない「糖心皮蛋」の2種類に分かれます。

櫛形に切った「皮蛋」に生姜と醤油を添えて食べれば「皮蛋」の味わいが最も際立ちますが、「皮蛋」の臭いが気になる方には「皮蛋豆腐」がお薦めですし、「皮蛋」入りのお粥「皮蛋粥」も人気があります。中には甘い点心の具材に使用する例もあり、蓮の実の餡に「皮蛋」、紅生姜を加えてパイ生地で包んだ「皮蛋酥」などは変り種の1つと言ってよいでしょう。「皮蛋」と甘い餡子の組み合わせは我々には今ひとつピンときませんが、広州では一般的な点心の1つとされています。

No.58 卵の加工品「鹹蛋」

「鹹蛋」は生卵を塩水に漬け込んで作る卵の保存食品で、「鹹蛋」の「鹹」とは「塩辛い」という意味を表します。塩水には藁灰が加えられているため卵の表面は黒く、藁灰をヘラで掻き取った跡が白い筋となって売られています。中国の市場では「鹹蛋」がうず高く積まれているのをよく見かけますが、始めて見る人はその不思議な光景にビックリされることでしょう。「鹹蛋」は藁灰を洗った後ボイルして、通常は黄身のみを使用します。白身も食べられるのですが塩辛いだけで美味しいものではないからです。一方黄身にはチーズに似た風味があり、一種の調味料として料理に使用されます。例えば広東料理の「鹹蛋蒸肉餅」は豚バラ肉のみじん切りに酒と片栗粉、調味料、葱、生姜などを加えてよく練り、この中に「鹹蛋」の黄身を加えてこれを皿に広げ、さっと蒸して作る料理で、広東や香港の家庭でよく作られます。軟らかな肉に「鹹蛋」の風味がほのかに利いて、さっぱりした中に濃厚な風味が隠れているとでも言ったら良いのでしょうか、作り方は単純ですが奥深い味わいの料理です。イタリア料理で料理に粉チーズをかけるのとどこか似ていると思っていただければその味が想像できるのではないでしょうか。

日本には生食文化が根付いているため卵も生でご飯にかけて食べ、卵の新鮮さを大切にします。そのため卵を塩漬けにして保存するという発想がそもそも存在せず、「鹹蛋」の味にも慣れていません。ですから初めて食べた時は「何でこんなものを入れるのか?入れないほうが美味しいのに」と感じてしまいます。例えば甘い蓮の実のアンの中に「鹹蛋」の黄身を丸ごと入れた「月餅」の「蓮茸蛋黄月」などは確かに切ると中から「鹹蛋」の黄身が満月のように現れて見た目は良いのですが、品の良い蓮の実アンの甘さと「鹹蛋」の個性的な塩味がどうもミスマッチに感じられてなりません。ただしこの「蓮茸蛋黄月」、中国では不動の人気を誇り、贈答品としても喜ばれています。おそらく子供の頃から食べつけているために「鹹蛋」が入っていないとむしろ物足りなく思えるのでしょう。日本人が食べる卵かけご飯も卵を生食しない外国人からすると不気味に見えるのだそうですが、「鹹蛋」もこれと同じ事なのかも知れません。

No.59卵の加工品「糟蛋」

「糟蛋」の「糟」は酒糟のことで、「蛋」は卵を意味しますから、名前の通りに訳せば「卵の酒糟漬け」ということになりますが、実際は酒の絞りかすを使用するのではなく、酒の「もろみ」の中にアヒルの卵を漬け込んだもので、卵の加工品の中では最も高価で贅沢なものと言う事ができます。私が料理の見習いをしていた頃、店に「糟蛋」の試供品が業者から持ち込まれ、味見と言うことで一口食べさせてもらいましたが、赤味を帯びた黄土色のまるで土の塊のような外観からおよそ卵とは思えないものでしたし、味は紹興酒の酒糟そのもので、あまり美味しいとは感じられませんでした。『中国烹飪百科全書』によると「白身は乳白色で柔らかいゼラチン質、黄身は赤味がかったオレンジ色で半凝固状態」とあり、私の食べた「糟蛋」とはかなり違っています。私の料理の師匠筋にあたる黄先生は日本に来て初めて「糟蛋」を口にしたそうで、兄弟子が言うには「私も糟蛋が食べられる身分になった」と感激されたそうです。「糟蛋」にはさまざまな産地があり、浙江省平湖県産が最も上質とされますから、おそらく黄先生が食べたものがこれで、私のはこれとは違う質の劣るものだったのでしょう。

「糟蛋」が他の卵加工品と最も異なるところは、殻が付いておらず薄皮に覆われているという点です。それは「糟蛋」の制法に秘密があり、卵の殻にヒビを入れてから紹興酒の「もろみ」に漬け込むと酒の酸味で殻が溶けてしまい、薄皮だけが残るためと言われています。また殻にヒビを入れるのが一つの特殊技術で、竹の薄い板で卵を軽く叩き、上から下に縦一線のヒビを卵全体に施すと言いますから、誰にでもできるというものではなく熟練の技と言ってよいでしょう。これを「もろみ」に4~5ヶ月漬けると「糟蛋」が出来上がります。また製造時期は清明節のころが良いと言われており、卵を食べる風習がある清明節と何か関係が有るのかと思いましたが、気温が高くなる夏になると「もろみ」が変質してしまうので風味を保つために仕込みは清明節の頃が良いのだとか、理由は以外に合理的なものでした。「皮蛋」も清明節の頃に作るのが良品とされますが、これも同じ理由なのかもしれません。命の誕生を象徴する「卵」と日差しが延びて太陽の力が復活する「清明節」との関連性は卵の加工品に関しては無かったということで、民俗学と科学の対決はとりあえず科学にはなを持たせることにしておきましょう。

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